soragoto’s blog

20180101〜 浅慮なつぶやき 愚痴の倉庫

劇場版3部作の最終章「皇道」公開が間近になりました。

 


新宿バルトの最速上映チケット入手できたので、もう明日です。

 

 

 

 


先日、「亡国のアキト」を観ることができたのでその感想の一部を「皇道」前に残しておきます。

 


ルルーシュとスザク、2人の関係において亡国のアキトはクエスチョンの投げかけであり復活はアンサーとして用意されるのではないか?とぼんやり勝手に期待しています。

 

 

 

 


亡国に登場するロマと思われる婆婆さま達はいわば社会の本流から爪弾きにされた人たちです。

きっとその人生の旅は相当に苦いものであったことでしょう。

しかしきっと逞しく生き抜き、でもそれをおごることも悲嘆することも無く極自然に共に生きていこうと迷い子となったレイラ達を迎えるわけです。どっちかっていうと無理矢理(笑)。そこはときに手を汚し弾き出されたとはいえ、人と人が繋がり地に足の着いた生活があります。

 


逆にシンやスザクの求めるものは正しさを突き進めるがゆえに相手にも自分にも死をも辞さない潔癖さ。傍にいる保護対象のルルーシュは過去の夢の世界を漂いながら辛うじて生きている状態(以前の彼なら言うでしょう。こんなの死んでいるのと同じだ!って)。

 


最後にシンは死にたどり着き、スザクはルルーシュの首に手をかけますがたぶん光の中の思い出がなんとか止めるのです。それでも2人は牢の中で亡国の物語が終わるのが象徴的だなあと。そして、アキトとレイラ達は手を取り合い婆婆さま達と共に生きていくことを選ぶのです。私はそこに広い世界との繋がりを感じました。

 


対して牢の中にいた二人はどうでしょう。二人…ルルーシュとスザクはその後ゼロレクイエムを成し遂げますが、それはやはり2人だけの狭い世界ではなかったかと思います(独りよがり、いや二人善がりか、いや、C.C.もいるんだけどもね)。まるで牢の中のような。

たとえそれが高潔であったとしても二人は未成熟。世界の憎しみを一身に引き受けたからって一人の少年の命でそうそう世界が望み通りに変わるもんじゃないと思います。そんなの傲慢。でも、変わる世界を信じたい、少年らしい一途な心だなとも思いますが、他の人間達から見れば置いてきぼりにされた感もあるのではないか?

ゼロレクイエムはルルーシュが罪の報いを受けるものではありますが、その報いを受けた後、復活するというのであれば、責任も果たす必要があるのではないか? 世界に石を投じた責任を。その先を見届ける責任を。

 


もちろん、それはゼロ(スザク)が引き受けていますが限度があると思うのですよ。スザク、君は一人で重荷を背負い過ぎだ。

 


それにルルーシュには18年の人生ごときで満足だったと思わせてなるものか!ですし、死を未練なしに受け入れて欲しいなんて思ってない。彼があのときに「明日が欲しい」と願った続きの未練タラタラで、新しい世界を見たいと思って欲しい。そして責任とって先まで見届けて欲しい(もちろんスザクも引っ張っていけ)。それが彼らの繋がる広い世界になるだろう…と。まあ、要するに動いている彼を観たいのですね。

 

ゼロレクイエムという少年期の終わりの象徴の先に、彼らの未来に何が待ち受けているか、そこは牢ではなく広い世界なのか、新しい物語を待ってみようと思います。

 

 

ああ、また無闇に長くなってしまった